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第10回受賞作品つたえたい、心の手紙

第10回受賞作品紹介(5作品)

平成29年5月1日~9月30日までの期間に募集しました、第10回「つたえたい、心の手紙」は総応募数1,031通の中から、審査員による厳正な選考の結果、下記の方々が受賞しました。 今回も数多くの方にご応募いただき、誠にありがとうございました。

受賞作品一覧

  • 雨の日が好き

    岡山県 池田 邦子 様 83歳

    お母さん、平成7年1月9日、あなたが94歳で永眠してから、もう22年も経つのね。8日後には阪神大震災があったので、あなたの命日は忘れることができません。 晩年のあなたは、脳血栓の後遺症で右半身が不自由になり、特養ホームでお世話になっていましたね。勤め帰りに毎日面会に行ってたある日、担当の寮母さんが「お母さんは歌好きでよく口遊(ずさ)んでおられるよ。それに雨の日が好きみたい。どうして?と聞くとね、畑仕事をしなくていいからだって」と話された。 あなたは女学校を卒業して、数え年18歳で地方地主の長男と結婚。夫の弟妹や、農作業の手伝い人も居る大家族の中で、姑さんの言われる通りに家事をこなし、一度も経験の無かった畑仕事の手伝いもよくし、「良い嫁が来てくれた」と評判だったそうね。お産の後も3日間休んだだけという丈夫な体が自慢だった。「雨の日が好き」だなんて、娘の私も知らなかった話を90歳を過ぎた今、なぜ寮母さんに話したの? 明治生まれの女性たちは、「良妻賢母は忍耐」と、教えられていたのかな? 畑仕事はよっぽど辛かったのね。そういえば、車椅子から窓の外に降る雨を眺めながら涙ぐんでいたことを思い出したわ。胸の奥に秘めた思いがあったのね。歌好きなことは、「母親の歌う琴歌(ことうた)でお前は眠っていた」という祖母の話で知ってたの。だから大きい字の童謡の本を買って行き、一緒に歌うのが日課になったのよ。ねえお母さん! 「どんぐりコロコロ、どんぶりこだよ」と注意してもどうしても直らず、最後まで「どんぐりコロコロ、どんぐりこ」で通したわね。ホームの人がみんなで拍手してくれたよね。 末っ子で甘えん坊の私の看取りだったけど、楽しいひとときだった。笑顔を絶やさなかったあなたは、ホームの人に愛された。お母さん、「人にされて嬉しかった事を忘れるなよ。今度はお前が人様にしてあげるんだよ」と教えてくれた言葉、子どもに伝えていますよ。

  • 抱いて下さい お母さん

    大分県 大塚 常代 様 86歳

    お母さん!! 86歳まで生きて初めて貴女を呼び、初めて手紙を書きます。貴女は死期を悟ったある日「一度でいいから常代を抱かせて」と泣いてせがんだそうです。その時おばあちゃんも泣きながら「それは出来ないヨ、今この子を抱いたら病気がうつる。この子だけは生かさねば……」。 お母さん、貴女は86歳の私を抱けますか。私はめっきり体力が落ちて、25歳の貴女を抱けません。ならばハグをしましょう。 ああ、お母さんの肩の細いこと。人生の花ざかりで病を得て、25歳で旅立った悲しみの果ての細い肩ですネ。 お母さん、貴女は結婚後、肺結核を発病し、長女静子に病をうつして死なせ、再び私を妊娠と分ったら、肺病は家を滅ぼすとの理由で離縁されたそうです。 長女の位牌と身重の身で、貧しい実家に返された貴女。生れ家とは言え既に兄嫁も居り、どれ程肩身せまい思いで暮した事でしょう。私が三月生れで、貴女が十月の旅立ちですから、この間どれ程悲しかった事でしょう。私も一度も抱かれる事もなく、一滴の乳も飲まず重湯だけで、痩せた猿の様な赤子だったそうです。 明治生れの祖母は、無知な農婦として働くだけの中で「久美(母の名)に常代は抱かせぬ。乳も飲ませぬ」との決断が私の命を守ってくれました。お母さん!! おばあちゃんを恨まないでね。私はおばあちゃんのお蔭で、健康老人として健診の度にほめられています。 でも遠からずそちらに行きます。その時は小さく軽くなって行きますから、しっかり抱いてネ。 美人だったらしい貴女に一度抱かれてみたいのです。 だから抱いて下さいお母さん!!

  • 尊敬する“はは”おばあちゃん

    石川県 山口 泰子 様 70歳

    お母ちゃんが死んだその日、「今日からこのお婆ちゃんがあんたらのお母ちゃんやぞ」と冷たくなったお母ちゃんの傍らで曲がっていた腰をこころもち伸ばすようにし、あなたはそういいましたね。七十五歳の老いた“はは”は、不憫な“むすめ達”のためにも奮い立ち年齢のギャップを少しでも埋めようと、出来る限りの努力を惜しまなかった。曲がった腰で八百屋や魚屋に買い物に行き、曲がった腰で魚を焼き味噌汁を作り洗濯機を廻し、私達が年頃になりボーイフレンドやデートの話しなどするようになると、目を細め相槌を打ちながら嬉しそうに聞いてくれ、歳の離れた私達“むすめ”の話題に必死についてきてくれてました。 妹が成人式を迎えた頃には、あなたの腰は九〇度以上に曲がっていました。戦病死したお爺ちゃんの僅かな遺族恩給を少しずつ蓄えてあったのか、あなたは末“むすめ”のために振袖や帯等一式をどんと奮発してくれました。振袖姿の末孫娘とのツウショット写真での、あなたの満面の笑みは五人の“こども”を無事成人させたという安堵の表情に見えました。 二十年間、私達兄妹の結婚、出産と母親代わりとして老体に限界鞭打ちあなたは踏ん張ってくれました。私達に子供が生まれるごと自分やお母ちゃんの若い頃の着物を解いて子供用の布団を縫ってくれました。妹の次女つまり私達姉妹の最後の子どもが生まれた年、あなたの枯れた身体がさらに癌におかされ、病の床で最後の布団を縫い上げると、私達孫のためにぎりぎり一杯生きてくれた命の炎が燃え尽きました。ちょうどお母ちゃんの亡くなった年齢の倍生きて九十四歳でしたね。 私は今年古希を迎えました。目に入れても痛くない孫を持ち、私達姉妹は少しずつ、あの時のあなたの気持ちに近づける様になってきました。同じ女性として尊敬すると同時に、身体をはって私達孫を護ってくれた“はは”に深く感謝せずにはいられません。本当に有難うございました。

  • 「やめて」と言えた日

    東京都 広田 紗知子 様 36歳

    じいじが天国に旅立ったのは、私が小学6年生の時だったね。じいじは孫の中で一番小さくて、内気で体も弱かった私を誰よりも可愛がってくれたね。 当時、学校でいじめられていて居場所のなかった私をじいじは、「いつでも来ていいよ」、「辛かったら、じいじの所に逃げておいで」と言って、いつも励ましてくれたよね。私が泣いていると、「さっちゃんをいじめる奴はここに連れて来い、じいじがやっつけてやる」と言って私を勇気づけてくれたこと、一生忘れないよ。学校は地獄だったけど、じいじといる時間は天国のように幸せだったよ。この幸せな時間があったから、私は毎日いじめを乗り越えることができたんだよ。 そんなある日の学校の帰り道。妙に胸騒ぎがして走って家に帰ると、じいじが亡くなったという悲しい知らせが……。意識が朦朧とする中、「さっちゃん、さっちゃん」と言っていたことを聞いて涙が止まらなかったよ。 葬儀の翌日、学校に行くと、いじめっ子が来て「ジジイが死んだんだってね」と笑いながら言って来た時、私ね、初めて「やめて」と言い返したんだよ。今までは怖くて何言われても黙ってたけど、その時だけはどうしても許せなくて、大きな声でずっと言えなかった「やめて」が言えたんだよ。自分の悪口は我慢できたけど、大好きな優しいじいじのこと「ジジイ」と言われた時は、我慢できなかった。 じいじ、心配かけてごめんね。私、強くなったよ。じいじが私を強くしてくれるきっかけをくれたのかな?私ね、この日を機にいじめられても泣かないくらい強い子に変わったんだよ。だけど一つだけ変わらなかったことがあるの。それは、いくつになってもじいじっ子だということ。それだけは、いくつになっても変わらない。36歳になった今でもじいじっ子。弱虫で泣き虫な格好悪い私でも、世界一かわいい、大好きと言ってくれてありがとう。 私もじいじが世界一大好きだよ。

  • 古新聞の想い出

    大分県 佐藤 愛子 様 79歳

    私が一歳の時、父は三十四歳の若さで他界。葬儀の時、いつもと異って人の出入りが多いからだろう、私と兄は大喜びで愛嬌ふりまいていたとのこと。それを見て親せきの人は皆んな涙したと聞きました。 母は何はともあれこの先の事を考え相当のつらさをいだいてたと思う。 母は何よりも読み書きが好きなのに本と言う本らしきものも無く、もちろん新聞さえも買えない正に貧困母子家庭であった。 私がもの心ついた頃はおばの家から数ヶ月遅れの古新聞をもらって来て、毎晩のように読み聞かせしてくれました。私達の顔をみながら解説してくれました。おかげで私も読み書きの好きな子に育ちました。 小、中の修学旅行も行けなかったし、もちろん高校進学も夢の夢で終った。悲しみや不満は無かった。食べるのがやっとの生活を理解してたからだと思う。 十八歳の時、初めてローカル紙の読者の声欄に投稿しました。これからも挑戦しなさいの母の一言で、要介護1になった現在も挑戦し書き続けている。私は二人の息子に恵まれ、幼い時から読み聞かせに取り組んだ。 長男は公務員、次男は研究者として頑張っている。読み聞かせ法は孫育てにも役立った。この春、同居している孫二人が地元の大学を卒業しましたよ。母さん、貴女の見知らぬ曾孫ですよ。上の子は研修医として、下の子は教師として社会へ一歩踏み出しました。生活は貧しくとも心豊かに私達を育ててくれた賜物だと思います。 お母さん、本当にありがとうございました。お母さんの解説入りの読み聞かせ法は、我が家の宝として、明るい未来へと伝えたいと思います。

ひとりじゃない、貴女がいるから大丈夫。
長谷川唯 様
天国のお母さんへ
髙戸ひとみ 様
ラブレターの再配達
中川悦子 様
「指を返して」言ってはいけない言葉
加藤純子 様
じいちゃんへ。ばあちゃんには内緒です。
飯沼花織 様
お米
早崎あずさ 様
君にあいたい
井戸下正彦 様
拝啓 片足の戦士へ
中野寿美 様
愛された記憶
大田りつ子 様
母の通信簿
朝山ひでこ 様
嘘ついてごめんね
中川明子 様
12年目のゴーヤチャンプル
廣田絢子 様
おみかん
益栄美子 様
母の匂い
村﨑和子 様
母さんへ
井上浅江 様
いつかまた会える日まで
武藤仁美 様
丘の上の白亜の校舎を見上げると…
谷口卓生 様
防空壕の恋
佐伯清美 様
手放しちゃダメだよ
持田正行 様

募集要項

亡くなった大切な方へ向けて、生前伝えられなかった想いや、感謝の気持ちを“手紙”に書いてみませんか?

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