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第7回受賞作品つたえたい、心の手紙

第7回受賞作品紹介(5作品)

育児に奮闘中の娘から亡き母への感謝を綴った「二冊の日記」をはじめ、1,234通の応募作から選ばれた銀賞5作品をご紹介いたします。

受賞作品一覧

  • 該当者なし
  • 二冊の日記

    伊藤 みか 様 33歳

    お母さん、 いま私の手元には二冊の育児日記があります。一冊は、三十年前にお母さんが綴(つづ)った娘、すなわち私の成長記録。もう一冊は、現在私が綴っている娘の成長記録です。昨年、娘が産まれて初めてのことばかりで何もかもが怖かったころ、お母さんが遺してくれた日記は、一番の教科書でした。丁寧に記された、当時抱えていた不安や悩み、そして少しずつ赤ちゃんとの生活に慣れていく様子に、どれだけ励まされたことでしょう。 最近一歳を過ぎた娘は、むくむくと自我が芽生えてきており、ますます毎日が面白くなってきました。私が同じ月歳頃の日記を読むと、今の娘と同じような日常のエピソードで溢れていて、やっぱり母娘だなぁと感じています。絵本が好きで、朝起きるとまずは本棚からお気に入りの本を引っ張り出してきて、眠い目をこすりながらページをめくっているところ。母親べったりの甘えん坊で、お母さんがトイレに行くだけでも、出てくるまでドアの前で大泣きするところ。それに、食べることが大好きで、お母さんが台所に立つとすぐに飛んできて、「まんま、まんま」と大騒ぎするところ。どれも今の娘の姿とそっくりで、思わず笑ってしまいます。今の私よりも若かったにもかかわらず、あんなにしっかり家のことや子育てをやっていたなんてすごいです。やりたい放題の娘に振り回されて、弱音を吐きそうになりますが、「私にもやれないことはない!」と当時のお母さんを見習い、毎日奮闘(ふんとう)しています。 私も母親になり、この日記を読むたびに、お母さんがどんな想いで私を育ててくれたのかが痛いほど伝わってきます。お母さんにこれほど愛されて育ったのだということが、私の自信になっています。私の娘がいつの日か子供をもったときにも、きっと同じように何かの助けになることがあるだろうと思い、私もせっせと育児日記をつけています。 お母さん、お母さんの想いはきちんと伝わっています。すばらしい宝物を遺してくれて、本当にありがとう。

  • さつま芋のおかゆ

    戸澤 三二子 様 72歳

    父さんと母さんを無性に恋しくなり、大空を見上げる時があります。 三十七歳で復員して、山形県に入植した父さん。父さんを支えてきた母さん。荒野で生き抜いた父さん達は、人生のお手本です。そして私の心の拠り所です。 「食うや食わず」の暮らしの中、父さん達の食べ物は、子ども達の食べ残しだったね。あの夜のことを覚えていますか。父さん達の夕食を残さないで、四人の子どもが夢中になって全部食べたことを。父さんは鍋の底を指でこすっていたけれど、私は知らぬ振りして横目で見ていました。それなのに「腹いっぱいに食べたか」と、頭を代わりばんこになでてくれた父さん。そばで、にっこり笑っていた母さん。でもね。あの夜のさつま芋のおかゆは特別に美味しかったよ。それはあの日は、朝から野草の実しか食べていなかったから。兄は五年生、私は三年生の秋でした。父さん達は何も食べないで、お湯をすすっていたことも知っているよ。あれから半世紀が過ぎました。今は申し訳なくて、恥ずかしく思います。 昨年の十一月、父さんの二十三回忌の法要の席で、兄がそのことを打ち明けたのです。妹達は幼いから覚えていなかったけれど、涙を流して聞いておりました。「残さず全部食べてごめんね」。父さん達の遺影に兄妹四人で謝った声が聞こえましたか。私はやっと胸のつかえが取れました。 ちゃんと謝れなかった言葉をずっと心の中で繰り返していたのに、もっと早く謝ればよかったと思ったよ。今でも「食」の大切さに気持ちを引き締めています。 家族で過ごした日々は懐かしくて、胸がきゅんとします。「心の宝物」になりました。 子ども達を大切に育ててくれた父さんと母さんに、いっぱい、いっぱい有り難う。

  • 五歳のままの妹へ

    後藤 順 様 61歳

    聡子、お前だけはまだ子どものままの姿でいるのか。父さんは六十九歳で亡くなり、母さんは三年前に亡くなったよ。八十三歳だった。あの世で、父さんも母さんも、お前に逢うんだと言っていたけど、判ったか。 聡子、どうして一人で溜池(ためいけ)なんかに行ったんだ。あの日、父さんは日雇いに朝早くから家を出た。母さんは野良仕事の手伝いで、昼飯に塩辛い握り飯を置いて出かけた。お前の面倒を見るのは、僕の仕事だと母さんに言われた。虫採りもしたし、かくれんぼもしたよな。汗かきのお前は、お腹いっぱい井戸水を飲んで、握り飯も食べずに眠ってしまった。 「にいちゃん、にいちゃん」と甘えるお前に添寝したぞ。少し、おねしょを漏らしたから、パンツも換えたな。母さんには内緒の約束も守った。お前の刈り取った草のような匂いのする髪を嗅ぎながら、僕はお前と野原を走る夢を見ていた。 夢の中で急にお前がいなくなった。それで僕は目を覚ました。お前が隣りにいないじゃないか。僕は慌てて捜したよ。押入れから天井裏まで。田圃(たんぼ)にも見に行った。どうして溜池に行ったんだ。絶対に行くなと言われた、あの溜池。二人で見た、土手に咲いた花たちは綺麗だったけど、寂しくなって母さんを捜したのか。 お前が溜池に浮かんだとき、十歳の僕は死のうと思ったけど、どうしたら死ねるのか分からなかった。聡子、お前がいなくなって五十年も過ぎたんだぞ。墓碑銘(ぼひめい)にあるお前の名を幾万回も水で洗った。だけど、僕の胸に残る後悔は、決して消えない。お前の熱い遺骨を拾って火傷した親指が、今も痛むんだ。 「にいちゃん、にいちゃん」と呼ぶ、聡子よ。僕はまだまだこの世でお前の分まで生きるぞ、母さんよりも。それがお前への供養なんだ。だけど、待っていてくれ。そして、おじいちゃんになった僕を笑ってくれるな。

  • 天国の母ちゃんへ

    石原 節子 様 69歳

    母ちゃん、天国の父ちゃんのもとに旅立ち9年になりますね。19才で封建的な家に嫁ぎ、思い出の中の母ちゃんは朝5時にかまどの火をおこし御飯を炊き、夜中にトイレに起きるといつも店の隅の裸電球の下で背を丸くして内職の編物をしている背をみ、私は大人になりたくないとずっと思ってきました。それなのに小学3年の遠足の前の日、母にひどい言葉を掛けてしまった私でした。 昭和30年頃の日本は貧しく食っていくだけでも大変な時代でした。学校で仲よしのA子ちゃんが「明日着ていく赤いジャンパースカートを買ってもらった」と。私は父の古い上着を利用して作った母の手作りのゴムの入ったスカートをはいていく様になっていたので、悲しくなり、急いで家に帰りました。母は日銭かせぎの為に13坪の小さな家の隅で、農家の人相手の雑貨の商いをしていたのでした。 内職の編物をしながら店番をしている母に「A子ちゃん、赤いスカートを買ってもらったんやと、私にも買ってよ」とやんちゃを言った。その夜の事でした。夜中トイレにいくと母が赤い毛糸で可愛いセーターを一生懸命編んでいる背をみた。いつもと違い少しでも沢山編める様にと真剣に編み棒を動かしていく手は魔法を使っているかの様に編み込み模様のセーターができ上がっていました。 朝、枕元に赤い素敵なセーターが、ゴム入りスカートの横に並べてあるのをみてとても嬉しかった。母は夜鍋をして編んでくれたのでした。学校に、にこにこして走っていくと、先生が入口の所で「節ちゃん、そんな素敵なセーターはどこの店にも売ってないよ」と。 69才の私、バァちゃんになっても母の事を思う時、淋しい心になります。そんな時、必ず”かあさんの唄を“口ずさみます、”母さんが夜鍋をして手袋編んでくれた“。孫が「バァちゃんその唄好きなんか」と。私は孫と一緒に天国に向かってもう1回歌いました。お月様が2人をやさしくみていてくれました。

  • 新しい楽しみをありがとう

    相沢 恵美子 様 65歳

    あなた、あなたがあちらの世界へ旅立ってからもう一年も経ってしまいましたね。当初の混乱状態から少し落ち着きを取り戻しつつある今日この頃です。あなたの書斎も整理すると言いながらなかなか取りかかれなかったのですが、最近ようやく遺品を手にする余裕が生まれてきました。一年三ヶ月という短い闘病期間でしたからじっくり本音を聞く機会がなかったのがとても残念ですが、この間発病三ヶ月前の登山日誌を見つけ思わず読みふけってしまいました。山登りの好きだったあなた、定年後は今まで行けなかった山に思いっきり登るという夢も半ばで潰えてしまいましたが百名山は四十数座登ったのだとか、山小屋でのざこ寝が苦手な私は低山だけ同行させてもらってましたね。 テレビの「百名山」で男体山(なんたいさん)を取り上げた時、はっと思って書斎に走りあなたの登山日誌を持ってテレビの前に坐りました。几帳面で記録魔だったあなたは起床時間から食べたもの、お天気、こと細かに記していました。……大きな岩がゴロゴロあり、足が届かない、急斜面を登ると樹木と岩場が交互に現れる。 テレビの画面はあなたが記した状況そっくりそのままを映してくれています。私はテレビを見、あなたの文章を読み、そしてまたテレビで確認し……という作業をしながら、 「ああ、ここを登ったんだ、この景色を眺めたんだね」と、元気だった頃のあなたの姿を思い浮かべます。険しい山を登って行くあなたと一体化するなんて大げさなことは言えませんが、何ともいえない高揚感を覚えるひとときです。 あなた、新しい楽しみを与えてくれてありがとう。テレビであなたの残した登山日誌に記された山を取り上げるたびに、あなたと共に登る気分を味わえると思うと本当に嬉しい。ありがとう、あなた。

愛のスイカ
愛媛県
一色美鈴 様
55歳
七年間、育てて貰ってありがとう
福岡県
内川泰子 様
73歳
お義母さん、ありがとう
千葉県
安井伸子 様
60 歳
愛知県
森安翔平 様
26 歳
お父ちゃん、ごめん
広島県
村上理江 様
50 歳
ありがとう
千葉県
松居みどり 様
58 歳
あんちゃんの父親がわり
栃木県
柳徳子 様
75 歳
母ちゃんへ
徳島県
大沼亮 様
62 歳
ビリじゃなかった
福島県
小川美香子 様
22 歳
娘として 看護師として
大阪府
堀内貴美子 様
58 歳
おばあちゃんのきつねうどん
神奈川県
池田智子 様
70 歳
お母さん、ありがとう
神奈川県
茅根静代 様
71 歳
むすぶ魂
鹿児島県
下忠美穂 様
20 歳
赤いリボン
岡山県
浅野麻紀子 様
37 歳
おばちゃんに訊きたかった事
静岡県
石黒弥生 様
47 歳
もう一度 会えたなら
北海道
小杉佳緒里 様
50 歳
母さんと思い出話がしたくて・・
北海道
佐藤伸邦 様
73 歳
最後の発見
東京都
石井泰子 様
69 歳

募集要項

亡くなった大切な方へ向けて、生前伝えられなかった想いや、感謝の気持ちを“手紙”に書いてみませんか?

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