⼤切なペットに宛てた⼿紙
ここでは、みなさんから寄せられた、ペットへのお手紙をご紹介します。
動物たちは旅立った後、「虹の橋のたもと」でたくさんの仲間と一緒に元気に遊んでいると言われています。
飼い主のみなさんの想いが、ペットたちに届きますように。
僕の子供たちへ
福井県 T・Y様 44歳
猫は人間じゃないのだから、猫として可愛がってもらいたかったのだと思う。でも、僕は君たちを人間のように扱った。駄目なことは駄目と言い、その理由を説明し、いいことをしてくれたら褒めた。でも、シホロ、カグラ、君たちは猫として可愛がってもらった方が嬉しかったのかもしれない。猫に生まれてきたのだから、猫として生きることが当たり前なのだから。
もうすぐ十九歳となる春に、君たちはバタバタと旅立っていったね。僕は、それは天国に留学したのだと思っている。君たちは、あっちで君たちの生活をしているのだと。時々シホロが夢に出てくるのは、手紙を書いてくれているのかな?カグラはほとんど夢に出てこない。しっかり者の君だから、きっと上手くやっているのだと思う。僕は君たちを育てたつもりだから、どこへ出しても恥ずかしくはないと思っている。人間の十九歳だって、君たちのようにしっかりはしていないものだから。
シホロは少しワガママなところがあるけど、それでも止めてほしいことは止めてくれる。カグラはシホロを見ているから、僕が嫌がることをしようとしなかった。君たちは立派に育ってくれたんだ。
いっぱい話をした。嬉しいこと、嫌なこと。どうしたらいいのか、どうするべきなのか。君たちは、いつも僕の目を見て聞いてくれていた。僕には君たちが猫のようには思えなかった。僕にとって君たちは僕の子供だった。大切な僕の子供。でも、僕は時々思ってもいた。猫として生まれてきた君たちを猫として育てなかった僕は、もしかすると残酷なことをしているのかもしれないと。そこに答えはないけど、でも、僕は君たちに出会えてよかったと思う。君たちとの約十九年、それは得難い経験なのだから。
そっちは、どうだろう。僕は君たちに対して何も心配はしていない。だから楽しんでほしい。僕も、僕の人生を歩む。君たちからもらった沢山の宝物を大切に愛しみながら。
本当の奇跡
熊本県 N・S様 52歳
るるは8月29日に逝きました。るるの大好きだった肉の日に逝きました。しかし、るるは8月29日まで生きました。享年14歳。人間で言えば、72歳だそうです。
異変は8月19日。突然エサを食べなくなりました。翌日、るるのお尻から透明の汁が出ているのに気づきました。22日、病院へ行きました。ひどい尿毒症とのことでした。もはや手の施しようがなく、早ければ一両日中の命とのことでした。もともとの飼い主は福岡にいる長男です。もともと翌週には帰省する予定でした。LINEだけはしました。23日。24日。時折、水は飲むものの、エサは全く食べません。大好きだった生肉にも口すらつけません。でも生き続けました。長男の帰りを待っているのかなと思いました。25日。26日。日に日に弱弱しくなり、歩くことも困難になりました。でも生き続けました。長男の帰りを待っているのだと思いました。27日。28日。衰弱し、小柄になり、ほぼ寝たきりでうめき声をあげる状態になりました。でも生き続けました。長男の帰りを待っているに違いありませんでした。
29日の正午頃、ついに長男が帰ってきました。間に合いました。るるはしっかりと生きていました。長男が庭ですでにチェーンを外されているるるを優しく撫でました。家族ともどもちょっぴり安心して昼食をとりました。るるは、庭の夏の日差し除けのパラソルの下で、すやすやと心地良さそうに寝ていました。そして、一息ついていた妻がふとるるを見やって言いました。
「るる、死んでない?」
ゆっくりと庭に出ました。るるのお腹に手を当てました。温かかったです。でも、その通りでした。るるはちょっと固くなっていました。
滅多に吠えないメスの柴犬でした。気がつけば、飲み水がカラカラになっていることもよくありました。本当に手のかからない犬でした。最後の最後までそのままでした。
るる、本当にありがとう。
チャコへ
愛知県 T・Y様 60歳
誰の言葉か、忘れたんだけど、「死というのは、呼吸をしなくなり、心臓が止まり、脳の活動が停止し、瞳孔がひらいたままになる状態ではない。本当の死というのは、この世の中に、誰もその人のことを覚えている人がいなくなったことを言うのだ」というのを学生時代に、聞いたことがあった。それを聞いた時には、ふーん…で終わったんだけど、30年近く前に、その言葉を再び聞いた時、本当だ、とつぶやいて、涙が止まらなくなったのを覚えている。それは哀しい涙じゃなくて、うれしい涙だ。君はまだ、死んではいなかったんだということを、再確認できた言葉だったからだ。
子供のいなかった私たち夫婦のところにやってきた君。愛犬チャコ。カミさんの友達の家で生まれた雑種の茶色の犬。さみしいからとカミさんが飼ってもいい?と言った。私は二つ返事でOKしたよ。そして君がやってきた。天使のようだった。でもやがていたずらばかりする悪童になった。大人になって、ちょっと落ち着いたけど、私たちが甘やかしたせいで、君はわがままだったねえ。
そして君が連れてきてくれたんだろうな。君が来て、すぐ二人の娘が生まれた。君は我が家の福の神だった。
そんな君が我が家に来て10年くらいたった時、君は病気になったね。ごはんも食べず、どんどん痩せていった。最後の時には、家族全員で大泣きしたね。
でも、それから、今でも、君が交通事故にあって、あわててかけよると、無事にしっぽを振っていて、よかった!と抱きしめたあと、目がさめて、いや!よかったじゃないよ、もうチャコ、死んでるしって思ったりした。そんな時、さっきの言葉を思い出したんだ。君のことは私たちだけじゃない。二人の娘も、そしてその孫も、君の写真を見て、かわいい犬だねと笑っている。君はまだ、しっかり、生きているんだよ。
猫
埼玉県 G・T様 27歳
大切な誰か、と言う問いに、私は真っ先にお前の事を思い出した。大切な誰か、大切だった誰か。人の顔なんて一つも思い浮かばなくて、私の人生においてお前の存在だけが救いだった。
お前が死んだあの日。もう長くない事なんて目に見えていたのに、馬鹿な私は風呂に入っていた。お前の死に目にすら立ち会えなかった私が、お前の事を大切だなんて言うのはおかしな事だけれど、それでも思い出せた顔はお前の顔だけだったんだよ。
あの日、ちゃんと泣けていれば。この後悔ももう少しは違う形として、私の心に落ちていたのだろうか。死んだお前を最後に撫でる事が出来ていたのなら、私は今もこんな後悔をしていなかったのだろうか。お前がこときれる瞬間を、ちゃんとこの目に出来ていたのなら、後になって思い出して、こんなにも泣き腫らすこともなかったのだろうか。
肉親よりも、兄弟よりも、友達よりも、誰よりも、お前の事が大好きだったよ。構い過ぎで鬱陶しかったろうけど、私はお前が大好きだったんだ。
大好きだったから、そうだから、せめて、お前の死に目に立ち会いたかった。馬鹿な私を許してくれ、愚かな私を許してくれ、またお前に会いたい、お前に会いたいんだ。
私はどこまでも落ちぶれた。もう這い上がる事なんて出来ないほど深く、落ちたんだ。毎日が辛くて、全てが嫌になって、死んだお前を思い出して、会いたくて。私が死んだらお前と同じところに行けるのかな。
人なんてどうでもいい。人間なんてどうでもいい。お前だけが、お前だけが私の光だったんだよ。
世界で一番大好きな君へ
岩手県 F・M様 20歳
一目見た瞬間から、なぜか分からないけど、君にすごく惹かれました。そして、気づいたらママに伝えてた。「私、この子がいい。この子と暮らしたい。」って。
おぐは沢山私を救ってくれたね。
おぐをお家に迎え入れた時ね、私ちょうど受験生だったんだ。あの時の私は、現実と理想のギャップに悩んで、心がボロボロで、ずっと泣いてばかりだった。それを見かねて、パパとママが、少しでも癒やしになるようにって、そうして家族の一員に加わったのがおぐだったよ。
おぐのお陰で、私は自分でもびっくりするくらい、沢山笑えるようになった。そして、家族の時間も前より増えたように思う。おぐはすごいね。おぐの存在自体が、暗闇にいた私を救ってくれた。そして家族の仲まで深めてくれた。おぐには本当に感謝しかないよ。私の、私たちの家族になってくれてありがとう。
「おぐね、もう無理かも知れない。」そうママから連絡が来たとき、頭が真っ白になった。ママから聞いたよ。おぐは、命の灯火が消えるその瞬間まで本当に頑張ったって。偉かったね。頑張ったね。そしてごめんね。おぐは、私が一番辛い時、ずっと側にいてくれたのに、私はおぐが一番苦しい時、側にいてあげられなかった。本当にごめんなさい。
おぐは私たちの家族になって幸せだった?私は、おぐと過ごせて、本当に幸せだったよ。進学を機に、おぐとは離ればなれになっちゃったよね。だけど、家族ラインで送られてくるおぐの写真が、私の一番の癒やしだった。おぐと過ごした時間は、私にとって、本当にかけがえのないもので、宝物。それはこの先もずっと変わらないよ。
「さよならが言える別れは幸せ」
そんなどこかで聞いた言葉をふと思い出したの。今ならこの言葉の意味が痛いほど分かるよ。帰省して、おぐとバイバイした日、あの日が私たちの最後になるなんて、思わなかった。いや、本当は思いたくなかったのかも。だから、次帰ってきたら、また元気に駆け寄ってきてくれるって勝手に信じこんでた。
最後に、あの時言えなかった言葉を伝えさせてね。
世界で一番大好きでした。今までありがとう。
虹の橋の向こう側の君へ
兵庫県 O・A様 22歳
メリーへ
君は去年の7月に虹の橋を渡ってしまったね。
私が家へ帰るといつもカチャカチャと爪を鳴らして走ってきてくれたよね。
おばあちゃんのことが大好きで、
いつも目で鼻でおばあちゃんの姿を探して、
後ろをまるでストーカーのようについて行ってたのを思い出します。
私が小学生のころから一緒にいたもんだから、急に君の体調が悪くなって
元気な足音が聞けない日が増えたとき、本当に胸が締め付けられました。
それでも、たまに来る私や母、妹の姿を見たときには走って歓迎してくれて心底嬉しかったです。
好きな子にはいじわるしたくなるタイプだったので、クッキーをあげる前にいっぱい芸をさせたり、おもちゃを投げるふりをしてよく君を怒らせたけれど、私がしょうもないことで怒られて泣いていた時、慰めるかのように隣に座ってくれたよね。
今でも私が泣いていたら、家へ帰ったら、走って来てくれるんじゃないかな、と心のどこかで思ってしまいます。白いふわふわの犬を見つけるとメリーなんじゃないかな、と思ってしまいます。天国にはおばあちゃんはいないからさみしくてずっと吠えていたらどうしよう。とてもとても会いたいです。大好きです。
今年の7月に一周忌を迎えますが、どうかお元気で。
私たち家族のことを見守っていてください。いつも心の中で君のことを思っています。
僕の友達
埼玉県 E・K様 22歳
はじめて会った日のことを覚えているかな。君は2歳で僕は7歳だったね。君の目はキラキラと輝いていてとても眩しかったよ。それから君がうちに来てからの毎日は騒がしくなったね。でも、お母さんは君のお世話に付きっきり。正直言うと、お母さんをとられたような気がしてやきもちを焼いちゃったよ。そんな君は、よく食べるし、よく泣くし、よく走り回っていたね。本当に可愛くて、愛おしくて、大好きだったよ。
あれから15年。きみは17歳で僕は22歳。僕も君も大人になったよね。一緒に走り回っていたのに、いつしかそれもやらなくなったね。僕は学校に通ったり、友達と遊んだり、部活をしたりして家に居ない時間が増えてしまったね。でも君はずっとうちに居てくれた。家族で旅行するときも、家で留守番をしてくれるときもあったよね。寂しい思いをさせてごめんね。
実家を離れて暮らす僕の元に電話が入ったあの日のことは忘れないよ。
「ぽりすけが亡くなった」
僕は泣きに泣いた。22歳、大学生にもなったのに、涙をこらえることが出来なかった。火葬で焼かれる前の最後の君の姿は僕の目に焼き付いているよ。まるで生きているみたいに眠っていたね。あんなにキラキラだった目は真っ白になり、ほとんど前も見えていなかった。あんなに走り回っていたのにほとんど寝て過ごすようになっていた。この15年間で君はずいぶんと年をとってしまったね。僕は君の最期を見届けることも出来なかった。急に熱が出て、苦しんで亡くなったそうだね。後から聞いたよ。
君がいなくなったうちはとても静かで寂しいよ。本当は今でも君のことを抱きしめたい。君が使っていたベッドをつい見てしまう。まだ君がいるみたいだ。くよくよしてごめんね。君が亡くなってからもう2ヶ月が経った。どうやら僕はまだ前を向けていないみたいだよ。だからこそ最後に言えなかった言葉を贈らせてしい。
「ありがとう」
君は確かに僕を照らしてくれた。辛いときも、楽しいときも、苦しいときも、どんなときも君は僕を癒やしてくれた。今、我が家のリビングには君の写真が飾ってあるよ。家に帰るたびに君に会える。まだ僕は長い人生を過ごすよ。どうか見守っていて。いつになるか分からないけど、また会えるときまで待っててね。
僕の大好きな愛犬
ぽりすけ へ
親愛なるそうすけくんへ
静岡県 H・N様 38歳
初めて貴方に手紙を書きます。
初めて貴方が家に来てくれた日のことを思い出しました。初めて犬を飼う私たちは首輪にリード、餌を飼うのにもたくさん悩みました。
貴方と初めて散歩した日は嬉しくて、何時間も一緒に歩いたね。貴方は臆病で家族以外の人に噛みつこうとするから、目が離せなくて大変でした。いつも行く公園、貴方と見た桜の美しさは今でも思い出します。また今年も一緒に見たかったなぁ。
貴方の事が可愛いのに、忙しい時には邪険にしたり、「あっちに行って!」などの言葉で罵ってしまった事、凄く後悔しています。冷静になって考えると悲しい言葉をかけてしまっていたね。ごめんなさい。
まだ伝えたい事はたくさんあるけど、最後に私と家族になってくれて、ありがとう。貴方と過ごした日々は絶対に忘れないから、ゆっくり休んで下さい。
そうすけの事、ずっと大好きだからね!
華へ
兵庫県 Y・A様 20歳
今何してますか?今幸せですか?大好きな犬や人と一緒に大好きな草原を走り回ってるのかなぁ。小さな小さな君のこと、守れなくてごめんね。本当は寂しがり屋の君の傍に居てやれなくてごめんね。華が遠い道の先で見守っていてくれたらいつか遠い先年を取って私が寿命を迎えた時絶対に会いに行くから。君が好きだった小道も君が好きだった花道もまだ何だか寂しいけどゆっくり前に進んでます。だからもうこっちに居た頃のように私とママのこと守ろうと必死にならなくて良いからね。どこかで君が私を忘れても幸せならそれで充分です。出会ってくれてありがとう。仕事が終わったあと君が飛びついてくれて本当に癒しだったよ。また会えたら華が好きだったドックカフェに行きたいな。大好きだよずっと。
私に本当の愛を教えてくれたプルへ
埼玉県 I・M様 26歳
私が一人暮らしを始めたころ、母から写真付きのラインがきた。真っ白い猫の写真。妹が友達からもらってきて飼い始めたという内容だった。その時は、「あ、そうなんだ」ぐらいの気持ちしかなかった。
そして一年後、茶色の猫の写真が送られてきた。今度は母が友達から貰ってきたらしい。体にカビが生えていて、今は隔離中とのこと。「ちゃんと飼えるのかな?」とも思ったけど、あまり気に留めなかった。
実は、私自身一人暮らしを初めた頃から、体調不良が続きなかなか眠る事さえできない状態だった。自分をだましだましやってきたけど限界がきてしまい、実家に戻ることになった。実家に戻ると足にまとわりつ付いてくる茶トラの子猫。今まで猫と触れ合ったこともなかった私は、「体調悪いんだから、来ないでよ」というのが最初の正直な気持ちだった。会社にも行くことも出来ない私は、ずっと家の中で過ごした。一年、二年と月日だけが経っていく。何も変わらない苦しい毎日の生活だったけど、一つだけ変化があった。それは、近くに猫が二匹いること。ただそれだけ。ただそれだけなんだけど、なぜか心が落ち着いた。
お腹が空けば、ご飯を求めてくるし、眠たければどこにでも寝れる。羨ましく思った日もあれば、気分屋すぎてイラついたこともあった。色んな感情を猫と一緒に共有してきた事によって、いつのまにか私の気持ちがどんどん前向きになっていた。「この子のために美味しいご飯を買ってあげたい」私が生きる目的ができた。
それから間もなく、茶トラのプルが亡くなった。突然の事だったので、良くわからなかった。病院の先生からも原因は不明だと言われた。最初は訳が分からなかったが、とても悲しい感情が溢れだした。辛い時に近くにいてくれたのはプルだったし、私に生きる希望をくれたのもプルだった。
色んな思い出が頭の中をよぎるけれど、最後にこれだけは伝えたかった。「いつも私の近くにいてくれてありがとう。大好きだよ。」ただそれだけは、茶トラのプルに伝えたかった。
そして、見守っていて欲しい。私が負けずに前を向いて歩いている姿を。
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