ここから本文です

第1回受賞作品

金賞

見てて下さい父さん開く

中川 曙美 様 68歳

父さん見えますか、其処から、今の私を、あなたが六才から男手一つで頑張って育ててくれたあこちゃん、もう六十八才になりましたよ。

今、思うと、父さんは本当に素晴らしい人でした。元気だった母さんが、突然、脳出血で倒れ、その日のうちに父さんに一言の別れも言わず亡くなったあと、父さんが私に涙を見せたのは、たった一回だけ、火葬場で母さんの姿が煙と化して空へ昇って行った、あの日だけでしたね。

その翌日から父さんは、悲しみを顔に出さず、仕事と家事を器用にこなし、一人二役、母さんの愛情も忘れない様にと、私を優しく包み込む様に育ててくれました。

そんな父さんの口ぐせは、「悲しみは淋しさに変わり、そして、ゆっくりと優しさに変わっていくんだよ」、でしたね。

父さん、今の私は、その言葉が分かります。

夫がパーキンソン病と診断された十数年前の悲しみ、その後、脳手術、誤嚥性(ごえんせい)肺炎と長い入院生活。

一人帰宅し、暗い玄関で鍵を開ける時の淋しさ。

でも父さん、今の私は、その悲しみ、淋しさを乗り越える事が出来ました。

夫は、今、私のそばにいます、家で静養しています。「あんた誰? どこから来たの?」

なんて、時々聞いてくる夫に、私は、優しい笑顔を忘れずに、「あなたの一番大切な奥様、否、女神様だよ」と答え、夫に「ありがとう!」と、感謝の言葉までもらっているんです。すごいでしょう。

いつか、父さんのそばへ行ったら、「あこちゃん、頑張ったね」と、ほめて下さい。その時、私は「父さんの、おかげです。父さんが私を育ててくれたから…」と答えます。

その日を楽しみに、優しい介護をします。

見てて下さいね、父さん。

銀賞

会いたい お母さん、会いたい開く

中村 佑美 様 29歳

お母さん。あなたの声、におい、十年経つ今もまだ覚えています。思い出す回数は減っても、思い出の深さはかわりません。

お母さんが亡くなって、何度会いたいと願ったでしょうか。一人だったら、ゆうれい姿で出てきてくれると信じ、おはかに通った事もありましたね。あの世で笑って見てたかな、泣いていなければいいのですが。

お母さん。私はお母さんが亡くなった後、家族をまとめる役の難しさや、大人のつきあいが大変だという事を知りました。それから念願の職につき、結婚もしました。出産もしました。どれもこれも、よく出来た娘さんね、とほめられるけれど、一番ほめて欲しい人はお母さんです。

お母さん。あなたがいなくなって、父は強さが薄れ、弟は笑顔が薄れたように思います。女は強いだとか、お姉さんがいるから安心と言われますが、私も辛く淋しいです。お母さんに会いたいです。

お母さん。私、がんばってきました。母がいなくても強くのりこえてきました。けれど今、はじめてつかれてしまいました。

子を持つ親となり、実家のない育児は辛いです。お母さんにいつまでも甘えてはいけませんが、実家がない子育ては、戦いばかりです。少しだけ、この世に戻って来てくれませんか? 会って私や娘とお茶を飲みませんか?

預けたり、頼る事のできない育児は辛いです。どうしても、他のママさんと比べてしまいます。弱い娘でしょう。

でもね、お母さん。ふと思います。娘にとって私はお母さん。今度はあなたのように、強くしっかりしなければいけません。娘にとって私の声やにおいを、できるだけ多く感じる事が出来るように。だから、元気でいなくてはダメでしょう?

お母さんに会うのは、うんと先になります。それまで、笑顔で待っていてね。

ありがとう、あなた開く

荒木 直美 様 62歳

あなたが亡くなってからもうすぐ一周忌を迎えますね。今、秋風が吹いて庭の菊が咲きはじめました。今朝、二枝切って仏前に供えました。遺影のあなたは笑っていますね。あのとき、病院のディルームで孫の栞奈(かんな)が自分のバッグから突然取り出したカメラ。カメラの前で点滴のスタンドを横に孫にむけた笑顔の写真を、病室のベッドの上で見ながら自分の遺影用にと指定したその一枚が現実になってしまいましたね。私たちは、あなたとの写真をたくさん撮っておきたかった。ビデオにもおさめておきたかったけれど、それは確実に死を意識してと、思われたくなくて断念しました。

でも、孫が何気なく写した写真には、やわらかな笑顔を浮かべてつらい闘病生活を感じさせないほど元気ないつものあなたの姿でした。枕元のメモ帳には、自分の葬儀の段取り、戒名などを書き込んでいましたね。弔辞を頼む人、葬儀委員長、告別式に参列して欲しい人、長男を立てて欲しいので施主にと話したこと。ひとり病室で痛みと闘いながら考えていたのですね。自分の葬式はどんなふうになるのか楽しみだと、冗談とも本気ともつかない話をしていました。聞いていて本当に悲しくて、せつなかった。

人は誰しもがベッドの上で考えることは、治ること。治って退院すること。それらに希望を託しながら治療をしていたはずなのに、もう、あなたは可能性を捨ててしまったのですね。「もう、疲れた」それが最期のことばでした。あなたが病室で私に書き残してくれた手紙に私は返事を出すことができないでいます。私は、あなたとの四十年間の結婚生活は幸せでした。ひとことだけでもこの言葉をあなたに伝えたかった。

これからの私は、あなたが望んでいるように前向きに生きていきますよ。いつか、あなたに会いに行く日まで見守っていてくださいね。ありがとう。あなた。

何度でもありがとう開く

佐羽内 智子 様 62歳

何故に突然、こんなにも伝えたい気持ち「ありがとうお父さん」と、その一言を伝える時間も私から奪いさった主人の死。「幸福な二十七年間の結婚生活だったよお父さん」せめて、一言。もし伝えられていたなら、これから先の私の生き方にどんなに大きな張りと心の灯し火になった事でしょう。現実は厳しく悲しく辛すぎました。

あなたは二十七年前、私との結婚と同時に三人の娘達のお父さんになってくれましたね。その娘達も長女、次女と結婚し三女は自立で家を離れた時に、お父さんは言いました。「これから二人の新婚生活だなー」と笑ってましたね。実の親以上に娘達を愛してくれ、やっと親の責任を果たした安堵感を私はお父さんの笑顔で感じとりましたよ。一年一年を大切に育み合っての日々の中で私の乳癌手術、どんな時にでも支えてくれたお父さんありがとう。そんなお父さんに「後二年したら競馬場巡りを二人でしようね」と約束していたのに、約束も果たせずにくやしい思いだけが残っています。側にいてくれるだけで安心して生活できましたよ。娘達の躾は厳しく叱る時は本音で、父親としての優しさもあり、素直に育った娘達がその証ですね。五人の孫達も「じいちゃん、じいちゃん」とお父さんの事が大好きでしたね。何度ありがとうと言っても言いたりない程素晴らしいお父さん。

「明日温泉に行こうな」を私と交わした最後の言葉にその一時間後のお父さんの死。きっと私に言いたい事が沢山あったでしょうね。私も伝えたい「天国のお父さん、私はお父さんと出合えて世界一の幸福者でした。二十七年間ありがとう」と。涙を流すのをやめましたよ、いつまでも私の心の中で生きて励ましてくれていると信じているね。永遠の眠りについた時の安らかなお父さんの顔、脳裏に焼き付いています。きっと満足に生きた六十年間だったよと私に伝えてくれていると、今でも私は信じています。「ありがとうね、お父さん」

秋ばばへ開く

西川 さくら 様 8歳

秋ばばは、きょ年の秋93才でなくなった私のひいおばあちゃんです。天国にいる秋ばばに、お手紙を書くのははじめてです。ちゃんととどくといいな…。

秋ばば、お元気ですか? 天国で楽しくしあわせにすごせていますか? 大好きなもなかのおまんじゅう食べていますか? お空から私たちのことを見てくれていますか? 私は二年生になり、毎日楽しく学校へかよっています。秋ばばがいなくなっちゃってさみしいけど、秋ばばとの思い出はちゃんとおぼえているよ。いっしょに秋ばばの車をおして、お買いものに行ったこと。アイスクリームを買ってもらったこと。秋ばばの手をひいてあげたら「ありがとう」と言ってくれたこと。ダンボールで大きなお家を作ったこと。お人形を作って人形げきをしたこと。おり紙をしたこと。夏まつりでキティちゃんのおめんを買ってもらったこと。ようち園の時うんどう会に来てくれたこと。でもきょ年のうんどう会の時、秋ばばはしんじゃったね。さい後のお見まいに行った時「うんどう会おばあちゃん行けないけどがんばってね」と言ってくれたから、私は一生けんめいがんばったんだよ。

もう秋ばばには二どと会えないけど、私はこれからも一生けんめい色んなことがんばるからおうえんしていてね。この前ママに言われたんだ。「じゅくに行かずに今の小学校に合かく出来たのも、秋ばばがいっぱいあそんでくれたからかもね」って。そうかもしれない。だって入学しけんの時、上手に作品が出来たから。たくさん色んなこと教えてくれてありがとう。秋ばばとすごした時間は私の大切なたからものです。86才もちがうのに、こんなになかよしだった私たちってすごいと思うよ。秋ばばのひいまごになれてよかったよ。いっぱいかんしゃしているからね。ずっとわすれないからね。じゃあまたね。

あなたの宝物開く

村田 睦美 様 39歳

粋で、おしゃれで、ユーモアたっぷり。明治生まれのおばあちゃんは、私の憧れでした。お互いに気が強くて口も悪い。しかも似た者同士の二人だから、よくケンカもしたよね。でも、子供の頃から、ずっとあなたが大好きでした。

ある年のクリスマス。二人でケーキを食べていたとき、急に

「来年は天国でクリスマスかな…」なんて言い出した。いつもそんな事を言ってまわりを笑わせる人だから、私も

「天国だったら、静かなクリスマスだね」なんて返したよね。すると、今度は子供のようなふくれっ面をして
「えー、やだやだ。静かじゃたいくつだよ。好きな物たくさん持っていこうっと」と言い出して、二人で笑った。でも、その後「だけど、一番大切な宝物は持っていけないのよね」と、真剣な顔でつぶやいた。

「どうして? 持ってけばいいのに」と言う私に、あなたは、私の手を握りしめながら、こう言ってくれたよね。

「だって私の宝物は、あなただもの」

その言葉に、びっくりして「何を冗談言ってんのよ」なんて、照れ笑いしてしまったけど、本当は、涙が出るほど、うれしかった。目の前で泣くと恥ずかしいから、家へ帰って思いきり泣いたんだよ。ほんとにうれしかった。

次の年の夏の終わり、まるで夏の花が枯れるように旅立っていった。美しい最期だったよ。さみしくないといえば嘘になるけど、私は大丈夫。だって私の中で、おばあちゃんの存在が、変わらずに大きいままいてくれる。

あのクリスマスの日、私を宝物だと言ってくれたあの言葉、そしてあなたが握ってくれた手のぬくもり。それが、私の一番の宝物です。