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葬儀への想いやくらしの友の葬儀理念をご紹介いたします。

私たちの葬儀への想い

私たちが創業以来、もっとも大切にしてきたこと。
それは、一人ひとりのお客様の心に寄り添い、その悲しみを少しでも癒していただくためにできることは何か、そして限られた時間の中で故人とご喪家の双方にご満足いただける葬儀とは何かを徹底的に考え、実践することです。
また、葬儀は、日本人が古来より連綿と受け継いできた伝統文化であり、故人様の旅立ちを、心を込めて厳粛に見送ることは、遺された方に癒しを与えると私たちは考えます。
ここでは、くらしの友が創業以来、大切にしてきた、葬儀の意義や理念をご紹介いたします。

人が、人として、人のために。

はるか太古の昔、死者を葬る洞窟の入り口に、一輪の野の花を手向けたのが今日の葬儀のはじまりだといわれます。
葬儀…それは“人の死を悲しみ嘆く”という、命に対する限りない慈しみから生まれました。死者に捧げられたこの一輪の花は、やがて死後の世界(来世)への関心を呼び起こす花となり、梨明期(れいめいき)を迎えようとしていた人類に、宗教意識の芽生えという貴重な果実をもたらしました。
古代日本(大和朝廷成立以前)の生活習慣を伝える最古の資料「魏志倭人伝」にも、葬儀には神々が宿り、祖先を想い、親子の絆を確認しあう、そして日頃の人々の交わりを感謝しあう礼節儀礼の根源である旨の記述があります。
このように葬儀それ自体に一つの意味があり、それは長い歴史のなかで培われた日本人のもつ宗教観や倫理観、来世観や他界観など、高遇な日本文化の精髄そのものと考えます。

「非日常」であることが、不可思議な「力」を招来する

礼儀と儀式は根本的に異なります。礼儀は日常の中で、「人と人」の関係で設定された行動基準ですが、儀式とは「非日常」つまり「ハレ」の中で、「人と神」が交わりながら、人々の意識を根本的に切り換えることを目的としております。
太古の時代、人々は不可思議な「力」が日常性を打ち破って出現した時、恐れおののき、祈り、ひれ伏す他ありませんでしたが、やがて、この力と意識的に交流する術を身につけるようになり、それが儀式として体系化され、古代文明の源流となりました。
現代の儀式にも一部受け継がれ、結婚式にひもろぎに神を招来し、葬儀では白木の位牌に故人の霊を祀るのは、儀式と礼儀が異なる面があることを示しています。
その「非日常性」ゆえに、儀式には、これらの「力」と交わるための特別の約束事があり、それを満たすことによって儀式は、日に見えぬ威力を発揮します。葬儀で、故人の魂が冥界に生まれ変わることができるのも、その力のお陰なのです。

儀式とは「聖別」された特別な空間

儀式を行う上で一番重要なことは「非日常性」です。時間、場所、祭具、道具だて、言葉遣い、音、香、服装等いっさいを普段とは異なる「特別なもの」にする必要があり、その過程を宗教学では「聖別」とよびます。中でも時間と空間の聖別がとりわけ大切で、結婚式に大安を選んだり、葬儀に友引を避けたりするのは、時間の聖別であり、慶事に紅白、弔事には白黒の幕を張るのは空間を聖別する方法の一つです。
聖別された場所は、当然「改まった」席になります。適切に司られた儀式では、列席者全員が適度の意識集中状態に導かれ、様々な印象的な所作、朗々と響きわたる言葉がわれわれの潜在意識、さらに無意識までしみわたり、以後の人生に深く影響を与えるようになります。
儀式に臨むと、誰でもよそよそしく、また、場違いな所にいる感じを受けますが、それは普段には体験できない「特権的」な時空の中にいるからであり、しり込みすることなく、積極的に利用しなければなりません。そこで祈り、考えることは何時か実現するからです。

葬儀憲章(そうぎけんしょう)

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葬儀とは、故人、ご遺族、そして会葬者を通じた社会のためにあるものと考えております。
それは私たち独自の葬儀憲章というものにも明文化しています。

葬儀への想い

小さな葬儀であったとしても、ご会葬者の多い盛大な葬儀であったとしても、すべてに意義のあるものであってほしい――。
ご喪家より「ゆっくりと見送ってあげることができたよ。ありがとう」とお言葉をいただけるように、またご会葬者様から「本当にいい葬儀でしたね」と喪主様へ言っていただけるように、故人様の心からのご冥福をお祈りしながら、今日も私たちは葬儀の現場で皆様の心に寄り添い続けます。